【インタビュー】光と影が重なり合うShinn Yamadaという音楽

今回は、ソウルフルな歌唱とまっすぐなリリックが魅力のシンガーソングライター、Shinn Yamadaさんにインタビュー。音楽のルーツや、制作と向き合うマインドなどについて伺いました。

Shinn Yamada × Culture Cruise

ーー今日はよろしくお願いいたします!2019年から直近でリリースされた「AME」まで、ハイペースにリリースされていらっしゃいますね。

Shinn Yamada(以下 Shinn):そうですね。今年はたくさん浮かんでくるので、クリエイティブなものができるように、たくさん書いてます。スランプにも陥るんですけど、浮き沈みしながらモチベーション上げてやっています。

ーースランプに陥った時はどう対処していますか?

Shinn:一度音楽から離れて、また戻ってきたりします。それでもできない時もあるんですけど。友達と飲みに行ったりして、それを何とか音楽に繋げようって意識しています。

ーー音楽が常に頭の中にあるんですね。Shinnさんの作品はアートワークも特徴的ですが、シリーズ化されている山の形のジャケットには理由があるんですか?

Shinn:あれはもう単純に山田の「山」です(笑)。知り合いのデザイナーさんに一作目からずっと作ってもらっています。リリース量も多くなりそうだったので、「毎回似ている方が覚えやすいよね」っていう話になって

Chance The Rapperとかもそうですよね。一目見て「Chanceの新しいシングルだ」って分かるような。「2枚目のシングルも山2個でいいかな」ってラフな感じで話し合いました。

ーー実際に3枚目も3個ですしね(笑)

Shinn:あまりそこに時間をかけるよりも、サクサク出すことと覚えてもらうことを優先していたら全部山になりましたね。

ーースピード感はデジタルの良さですよね。「FLY」のアジフライもインパクトあります。

Shinn:お洒落でかっこいいジャケットも他に3パターンくらい送ってもらったんですけど、5分くらいで冗談で作ったというアジフライの画像がすごくかわいくて、直感で決めました。「え?本気?」って言われたんですけど、出してみたら反響もあって良かったです。

ーー2枚重なってるのとか好きです(笑)。

“Shinn Yamada” 音楽のルーツ

ーー音楽を始めるまでのルーツを伺いたいのですが、小学3年生の時に友達のピアノで涙を流して、音楽をやろうと決意したそうですね。

Shinn:そうですね、それもきっかけの一つです。放課後に音楽室で何人か集まってたら、名前は忘れちゃったんですけど女の子がピアノを弾き始めて、それがメロウでかっこよくて、なぜか涙が出てきました。今でもピアノが一番好きです。

ーーとても良いお話ですけど、誰だか覚えてないんですね。

Shinn:なんかこう、映像では覚えてるんですけどね、そういうスタイルでやらせてもらってます(笑)。

ーー良いと思います。ピアノは弾いていらっしゃるのですか?

Shinn:今年からやり始めました。それより先に歌いたかったので。それまでずっとサッカーをしていてクラブチームにも入っていたんですけど、音楽で食べていきたいと思うようになった中学生くらいから、裏紙に歌詞書いて歌っていました。曲として成立していたのか分からないくらいですが。

お世話になっているピアノの先生がいるんですけど、中3の時に、その方に弾いてもらいながら曲を作っていましたね。それで高校に入って、一作目の「別れ」ができたという流れです。

ーーライブハウスのステージにも立っていたそうですね。

Shinn:そうですね。仲間同士でこじんまりとやるようなイベントだったんですけど、中2くらいの時に中目黒で定期的にやっていましたね。でもここに立っているだけじゃ有名にはなれないなって、葛藤もありました。

ーー中学生ですでにはっきりとした意志があったのですね。「My Tokyo」の歌詞にある、渋谷での路上ライブは本当にやっていたんですか?

Shinn:やってました!スピーカー蹴られることもあれば、「頑張ってね」って3,000円入れてくれるお兄さんもいて。人によってこんなに違うんだなと思いましたし、これが東京だという刺激もありました。

「My Tokyo」は自分の原点で、辛いこともあるけど、諦めない。音楽で生きていくと腹をくくった曲ですね。

地元を大切にしたい

ーーShinnさんの楽曲には地元・東村山への郷土愛を感じ、ここが音楽活動のポイントのようにも感じます。

Shinn:地元をリスペクトしていますし、“東村山出身”というのは大切にしたいです。「地元でチャランポランだったあいつでも、ああなれるんだ」って言ってもらえるくらいになりたいんですよね。

生まれ育った地元の公民館でライブをするのが一番近い目標で、それを積み重ねて、いつかは武道館でライブをするのが夢です。

ーー素敵です!リスナーにはどんな風に聴いてもらいたいですか?

Shinn:たくさんの人に聴いてもらいたいので、聴きやすいメロディを意識する部分もあります。「その不満分かる」って思ってもらいたいですし、リスナーさんとの距離の近さは心がけてます。

一人一人解釈が違うところが面白いなとも思っていて。伝えたいことと違ったとしても、そんなにこだわらないですね。逆に学ばせていただいてる感じです。

ーー柔軟な姿勢、見習いたいです。不満は書き留めたりしますか?

Shinn:辛くなったらすぐ制作します。その時の新鮮な感情をぶつけていく。向き合いたくない時もありますけど、だからこそダークな曲ができると思うので。

ーーそのダークな感情の元になっているものって何でしょうか。

Shinn:中学くらいまでは元気いっぱいだったんですけど、制作を始めたら孤独になりますよね。内に内に入っていく産みの苦しみ、ひとりになる不安もあったり。でも絶対光は見える、上がってやる!と思っているので。

ーー今日お話を伺って、苦悩しながらも光を見出す、前向きな姿が印象に残りました。

Shinn:痛みは誰しも持っていることで、恥ずかしいことじゃないし、その中にも希望はあるっていう、光を灯し続けたいです。過去にはなんで俺だけなんだって憎悪とか葛藤もありましたが、逆にそれで制作ができているのでありがたいことなんだなって。

自分がヘコんでいたら光になれないですし。Shinn Yamadaがまた明るい曲を出し始めたら「わかり始めたんだな」って感じてもらったり、そうやって成長していきたいですね。

ーー楽曲を通してShinnさんのメッセージを受信したいと思います。今日は貴重なお話をありがとうございました!

目線の先、目の奥にあるもの

飾らずに素直な言葉で、まっすぐに目を見て語ってくれたShinn Yamadaさん。

クールな感じの方だと思っていたのですが、お会いしてみるととても穏やかで優しく、礼儀正しい方でした。

お話しする時は相手に合わせてコミュニケーションを取ってくれるのですが、目線の先には光があったり、目の奥には目指すものをしっかりと見据える意志の強さをのぞかせます。

良質なトラックとフロウの心地よさ、感覚的な音の魅力に乗せて、聴く者に訴えかける苦悩と希望が重なり合ったリリック。

音楽がShinnさんを救い、そんな彼がまた誰かの光になる。

行きがけには「面白いなぁ」と眺めていた山型のアートワークも、その人柄に触れ、帰る頃にはまったく見え方が変わっていました。光と影が幾重にも重なって、いつしか大きな山となる。

苦悩する姿も、包み隠さず楽曲に投影するまっすぐな心が、Shinn Yamadaの音楽を形成しているのだと感じました。

インタビュー・文 / 長谷川 チエ


▪︎Shinn Yamada 公式Twitter
▪︎Shinn Yamada 公式Instagram

「Playlist」

「Bye For Now (feat. TACK)」


ABOUTこの記事のライター

山口県生まれ、東京都育ち。別業種からフリーライターとして独立後、Culture Cruiseメディアを立ち上げ、『Culture Cruise』を運営開始。現在は東京と神奈川を拠点としている。 カルチャーについて取材・執筆するほか、楽曲のライナーノーツ制作、小説や行動経済学についての書籍も出版。音楽小説『音を書く』が発売中。趣味はレコード鑑賞。愛するのはありとあらゆるカルチャーのすべて!!