【連載小説】音を書く(最終回)

連載小説「音を書く」第十五章・エピローグのページです。

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第十五章 音を書く

 祐希にひどいことを言ってしまった過去は変えられない。でも僕は知ってる、物語の最後の一文を先に読む祐希の癖。

 時間を巻き戻せる特殊能力を自分だけが身につけたような感覚になって、楽しいのだそうだ。

 それならば、奏さんが丁寧に歌うように、僕も自分の心の中を丁寧に書き出して、祐希に読んでもらいたいと思った。

 あの日、踏切が開いた瞬間、僕は涙を流して倒れていたそうだ。祐希は直前に自分とやりとりをしていたことが原因になったのではないかと、責任を感じて僕に何度も謝るんだ。でもそれは違う。

 だからあのクリスマスの夜、僕がどんなに満たされたか、時間を巻き戻して知ってほしかった。

 この物語を読み直してもらえたら、少しは今を変えられるかもしれない。暗かった色を、少しは明るくできるかもしれない。

 僕は魔法使いでもSF作家でもないから、特別なことなんて何も書いてない。面白くないかもしれないけど、その代わり、嘘は一つもない。

 僕はまた祐希と一緒に音楽を感じたい。「諦めるな」そう伝えたいんだ。まるで自分に言い聞かせるかのような言い方だ。

 直接伝えればいいのにと自分でも思う。でも、目の前で発した言葉はすぐに消えていくし、手紙は読んだら終わってしまう。

 じゃあ物語ならどうだろう?  ずっと続いていく。祐希が描くヒントになれるなら、僕は喜んで物語を紡いでいきたい。

 きみに宛てたものならすんなり渡せると思ったし、きっと、これは僕の長い独り言だ。でも、きみにも心があると僕は信じてるよ。僕の想いを、祐希に届けてくれないか。

 誰かが「やろう」と立ち上がったことが連鎖して、この世の中にあるものはできあがっていく。そのどれもが、最初は笑われたり、けなされたり、無視されたりして、それでも諦めずに続けた人がいたから、全部形になっていくんだ。

 そう思えたら、すべてが大切になる。乱暴に扱っていいものなんてひとつもない。

 暗闇を照らす灯り。

 学びを支える机と椅子。

 ごみを覆うネット。

 店の前に敷かれた、足元のマット。あれは何度直しても斜めにずれていく。

 僕も祐希も。僕らが今生きていられるのは、諦めずに産んで育ててくれた人がいるからだ。きみだってきっとそうだ。

 奏さんの音楽は、奏さんの諦めない心が生んだ。積み重ねた日々がなければ、あのライブは存在していなくて、僕は雑煮のことを考えて笑ういつものクリスマスを過ごしていたかもしれない。

 あの一日がなければ、明日、大好きな音楽を聴けることは当たり前じゃないって、知ることができなかった。大好きな人に会える保証もない。当たり前に訪れる朝もない。

 そんなに大事なことに気付くことができて、命が無事だったんだ。長文を書くこともできる。これほど幸せな一日はないよ。僕は本当に幸運な人間だ。

 祐希と過ごせなかったことは残念だけど、それ以外は、最高で幸せなクリスマスだった。

 この世のすべては、誰かの諦めない心でできている。だから僕は、伝えることを諦めない。

「今から僕は、君に伝える音を書きます」

終章 エピローグ

「待合室のピアノへ」と書かれた封筒を望に返そうとしたけれど、この物語と別れるのが惜しくなり、「この続きを描きたい」と、少しの間原稿を貸してもらうようお願いした。

 いつだったか、自分の身近な人は作品を読んでも、ほとんど感想を伝えてくれないと望がつぶやいていたことを思い出した。SNSで知り合った人の方が、よっぽど忌憚のない意見をぶつけてくれると。

 そう言われれば、私もあまり周りに詳しく感想を聞いたことがない。こちらから聞いても、そっけない返事しか返って来ないので、いつしか感想を求めなくなった。

 特に今回は、私に直接書かないことで、感想を受け取ることを回避すらしているような気がする。だから私は、やっぱり絵を描きたい。

 六年生の時、枯れ葉の絵を描いてコンクールで特別賞を受賞した。あの頃から私たち二人だけのn次創作は続いている。創作で感想を伝え合っているようなものだ。

 封筒を受け取りかけた望は、優しく微笑んだ。左手に巻かれた患者識別用のリストバンドが目に飛び込んでくる。これでは生活しにくいのではないだろうか。物語から突然現実に引き戻された気がした。

 こうなることが分かっていたら、「君には分からない」と言われても、きっと何とも思わなかったはず。あんな風にケンカできることを、愛おしいと感じていたかもしれない。すぐに許せなかったことを、今とても後悔している。

 実際、音のない世界を生きている私には理解できないことがたくさんある。それでも望は諦めずに、私に伝えてくれているんだ。

 病室の窓から眺める景色は変化が乏しい。でもそこに何を見出すかは、今日までを生きてきた自分の心にかかっている。

 同じフレームの中の空を、今日はグレーで明日は青いと変化を感じるのも、優しくて柔らかいとか、強くてまっすぐだと想像を膨らませるのも自分の心。

 この景色の中で物語を書き上げたのだから、望の文章には十分色があると思える。音も、輝きもある。窓の外を眺める望の横顔は、私にとっての命のきらめきだ。

 でもこの景色を望は見ることができない。こんなに長いまつげの持ち主であることも自覚していないのだから。

 一緒にライブに行くと、ライトが当たって美しく光る瞬きを隣で盗み見てることにも気付いてないんだね。私にとってこの世で一番美しい景色を、望は一生見られないないなんて、何だか可笑しくなってきた。

 私は望の横顔を通して、音楽を感じているんだよ。今度は、私がその景色を描いて見せてあげたい。

 彼の文章には私が色を添え、私の絵には彼が音を授けてくれる。これ以上ここにいると離れられなくなりそうなので、私は病室を後にした。

 一階の待合室にはグランドピアノが置かれているけれど、しばらく誰にも触ってもらえていないような、止まった時間が見える。周囲の時間は間違いなく経過しているのに。

 でもよく見ると、その黒はしっかりと光を帯びている。誰かの諦めない心が、ちゃんと日々のホコリを払っているのかもしれない。

 望のことだから、それもしっかり見届けて、物語を書いたんだろうな。私は正直、ここにピアノが置かれていることもほとんど意識していなかった。

 でも三カ月間ここにいる望は、この場所の変化する景色を感じ取っていたんだ。苦しみの果てにようやく生み落とされた物語を、両手で強く抱きしめた。

「諦めないよ」心の中でそう告げながら、私はこっそり、鉛筆で最後の一文を書き直してしまった。

「今から僕は、君に伝える音を書きます 描きます」

『音を書く』おわり


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【連載小説】音を書く(1)

ABOUTこの記事のライター

山口県生まれ、東京都育ち。2016年、別業種からフリーライターとして独立。2017年にCulture Cruiseメディアを立ち上げ、『Culture Cruise』を運営開始。現在は東京と神奈川を拠点としている。カルチャーについて執筆するほか、楽曲のライナーノーツ制作、別名義で小説や行動経済学についての書籍も出版。趣味はレコード鑑賞。愛するのはありとあらゆるカルチャーのすべて!!