【連載小説】音を書く(6)

連載小説「音を書く」第十一章・第十二章のページです。

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第十一章 回想 

 僕は言葉で描写することが好きだった。小学五年生の時、枯れ葉が木から地面に落ちる写真が黒板に貼られて、この様子を文章で表してくださいという国語の授業があった。

 僕はその様子を「命が終わり、優しく地面に舞い降ちる」って発表したら、教室中の笑い者にされた。みんなの答えのほとんどが「枯れ葉がひらひら落ちる」みたいな感じだったから。「枯れ葉なのに、なんで優しいかどうか分かるんだよ」とからかわれた。

 他の科目は苦手だったけど、国語と音楽だけはみんなよりも成長が早過ぎてしまったみたいで、僕はいつもからかわれていた。

 泣きたい気持ちになったけど、担任の森先生は「この一文に、発芽した時から終わるまでの物語が集約されていて素晴らしい」って褒めてくれて、僕が発表した文を黒板に書いた。隣の席に座っていた祐希はそれを見て、うなずきながら拍手をしてくれた。

 この言葉と、乾いた笑いを断ち切る音に救われて、僕は国語の授業を嫌いにならずに済んだ。祐希とはもっと仲良くなったし、僕が音楽好きになったのは祐希の影響だ。

 中学に進学する時も、森先生はこのことを覚えていてくれた。

「望は大好きな本をたくさん読んで、物書きになるといい。先生はあの枯れ葉の話をもっと読みたい。枯れ葉の過去、現在、未来。いつか読ませてくれたら嬉しいな。」

 だから、ライターになった僕が今ここで奏さんのライブを観ているのは、すべて祐希と森先生のおかげだ。僕が今日この場所にいることは、あの授業の時すでに決まっていたのだ。同じ頃、二年生だった奏さんもきっとピアノの練習をしていたはずだ。

 まさか今、あの時の記憶がよみがえるとは思いもしなかった。どうして今だったんだろう。それは分からないけれど、僕は今、奏さんの音楽に触れている。心は満たされる。それだけが紛れもない真実だ。

 この真実を知っているのは僕だけだ。今この場所には2000人くらいの人がいるけど、その数だけ感情が生まれ、みんなその海の中を泳いでいる。

 もしも今、僕がこの場所から消えたってライブは続行されるだろうし、まして外の世界は何一つ変わらない。

 だけど、この感情の海を泳いでいるのは僕だけだ。これは僕だけが見ることのできる景色、僕が主役のストーリーなのだ。

 祐希がなぜライブに行くのか、僕はずっと理解できなかったけれど、「音楽は聴くだけじゃなく、感じるものだ」と教えてくれた。祐希は祐希だけのストーリーを体感しに行っているのだと思った。

 ピアノの音が、こんなに人の心に届くことも、そこにストーリーが重なっているからなのかもしれない。たくさんの人が弾いてきたストーリー。

 いつもは閉ざしている心の奥深くまで浸透するものだから、僕はちょっとだけ苦しい。深い海に潜りすぎたのだろうか。

 奏さんのピアノの前では、誰もが心を解き放って、素直になれるみたいだ。だからどんどん泳いで、深いところまで行ってしまう。

 どれだけ泳いだら、辿り着けるのだろうか。僕の知らない世界を、ずっと旅している人の元に。

第十二章 言葉の意味

 この世に言葉なんていらないのかもしれない。理由は三つ。音だけで人の気持ちはつながるから。海の中では話せないから。そして、どうせ祐希にこの状況を上手く説明できないから。

 本当に伝えたいことがある時、誰かに声をかけてあげたい時、言葉はいつも役に立たない。「君には分からない」なんて、言うつもりじゃなかったのに。

 どうして肝心な時にかぎって、そんな言葉が浮かんでしまうのだ。あの時の拍手の音に、僕はこんなに救われてきたというのに。

 きっと奏さんなら、落ち込んでいる誰かが目の前にいたら、ピアノで慰めてあげることができる。僕には一体何ができるだろう。

 ピアノくん、君は奏さんの一番の理解者なんだね。これからも奏さんを支えてほしい。僕は奏さんが辛い時、側にいてあげることはできないから。君だって奏さんに弾いてもらっている時、いつも生き生きしてるじゃないか。だから奏さんが大変な時は助けてあげてね。

 僕は今心の中で、ステージ上のピアノに語りかけてた。「ねこふんじゃった」すら弾けないのに、かつてピアノに話しかけた人間が僕以外にいただろうか。

 想像はいつのまにか飛躍して、この世に存在するすべてのピアノにこの言葉をおくりたい気分になった。

 でもそう思ったことは事実だし、これが少しでもきみに伝える手段になるのなら、僕はどんな方法も試したいと思う。

 奏さんの歌やピアノの上手さに感動すると同時に、僕自身、こんなに素直に心が揺さぶられる人間だったのかってことに驚いた。

 たった一曲、いや曲が終わる前にはもう、感動で胸がいっぱいになる。時計の針は動いているみたいだけど、周りの人も見えないし、ピアノを弾き、歌う奏さんと、自分だけが取り残された世界になる。

 周りが目に入ってこないから、さっきから涙が止まらないのだ。今日この場所であることに気付き、止まらない涙を、僕は諦めた。

 彼は、奏さんは何も持っていないのだ。もはや、サンタクロースの存在を信じるまでもない。豊富な才能が取り上げられ、まるで神のように崇められるが、彼自身は何も望まず、誰よりもシンプルに生きている。

 奏さん、僕はあなたの曲を毎日聴いているんです。それなのに、なぜ気付かなかったのだろう。僕にないものを、たくさん持っていると思っていた。でも、そうじゃないんだ。

 あなたは誰よりも、作為のない世界を生きている。あなたは無為の人だ。それなのに、僕はなぜあなたを、他の誰とも違う当代無双な人だと思っていたのだろう。

 特別な人と認識することで、まるで自分の平凡さを諦める言い訳を用意するかのように。特別な時間を生きている人なんていない。

 でも奏さんは、そんな僕のこともやっぱり許してくれるんだろ?

 たくさんの「もの」をもらっている気になっていたけれど、彼は何か与えようだなんて思っていない。「もらう」なんて言葉で、何かを受け取ろうとしていた自分が浅はかに思えてくる。

 サンタクロースの存在を望んでいる時点で、プレゼントをもらおうとしているじゃないか。ただ心で感じれば良いんだ。それが音楽なんだから。何かを手にする必要なんてない。

 潤いに満ちたたった一音が、乾き切っていた僕の心を満たした。この乾いた心を、すべて周りのせいにしていた。仕事や環境や周りの人たち。書けないのは、乾いているからだと思っていた。

 でもすべて反対だった。僕の心が乾いていたから、書けなくなって、周りに当たっていたんだ。太陽も月も木々もずっとそこにあるし、祐希や母さんもずっと僕を支えてくれてる。

 何かが降ってくるのを待って、自分のことだけを書いているから行き詰まる。誰かのために書けば、想像力は何倍にも膨れ上がるのだ。優しさとは、想像することなのだと思った。

 だとしたら、今想像の果てに思い浮かんだ人を、僕は精一杯理解したい。優しさを恩返ししたい人。

第十三章 「静かなる旋律」

 祐希はいつも、僕の文章を読んで僕を理解しようとしてくれる。それなのに、僕は画力がないからと、祐希のことを理解しようとしなかった。それは不可能だと思っていたから。

 でも、この日奏さんのステージを観ていて、自分が愛する領域にしかとどまろうとしない自分のことが嫌でたまらなくなった。好きなものだけを集めて、分かった気になって安心していた。

 奏さんの曲の中でもひときわシンプルな「静かなる旋律」が流れ始めた時、僕は自分が持っていたヘッドフォンを装着して、ノイズキャンセリングのスイッチを入れた。

(つづく)


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【連載小説】音を書く(1)

ABOUTこの記事のライター

山口県生まれ、東京都育ち。2016年、別業種からフリーライターとして独立。2017年にCulture Cruiseメディアを立ち上げ、『Culture Cruise』を運営開始。現在は東京と神奈川を拠点としている。カルチャーについて執筆するほか、楽曲のライナーノーツ制作、別名義で小説や行動経済学についての書籍も出版。趣味はレコード鑑賞。愛するのはありとあらゆるカルチャーのすべて!!