【連載小説】音を書く(5)

連載小説「音を書く」第九章・第十章のページです。

前回(第七章・第八章)はこちら
最初から読む場合はこちら




第九章 「きみの歌」

 語るように歌う人。

 僕はそんなシンガーに初めて巡り会えたような気がする。まるで奏さんの心象がすべて映像になって、目の前のスクリーンに映し出されるかのようだ。

「きみの歌」はとても温かくて大好きなんだけど、この日バンドの生演奏で聴けたことがとても嬉しかった。あえてデジタルを織り交ぜた音源とは違う、ノスタルジックな風景が見えてくる音だ。

 いろいろな事情でここに来ることができなかった人、来ないことを選択した人もいるのだから、こうして贅沢な演奏に浸ることができるこの時間を、しっかりと胸に刻みたい。

 僕はこの場にいた者として、文章でその人たちの心を少しでも軽くできることはないだろうか? などと一人考えた。奏さんの優しい歌声を聴いていると、みんなのことを考える想像力が少し膨らむ気がする。

 この曲は奏さんの歌唱で幕が上がり、モノローグで語るように展開していく。奏さんの声色や、ダイナミックな音の転調で場面が切り替わるのが伝わるんだ。

 元々の声の良さもあったのだろうけど、それだけで歌手になれるのなら、僕だって歌は上手い方だ。

 でも、情景が浮かぶように歌える人はそんなに多くないはずだ。何かを伝えようとする時、伝え方も大事だけれど、それ以上に、まず自分自身がどう受け止めるかがすべてにつながっていくんだって思うようになった。伝えるのはそのずっと先にある。

 人見知りだという奏さんが、歌になるとこんなに心の中を開示してくれるのは、つまりそういうことなんだと思う。

 デビュー前には長い下積み時代があったそうだ。古くからの知り合いでもないのに、「こんなに魅力的に表現できる歌い手になったんだな」と感慨深くなり、僕は暗い場所にぽつんと取り残されたような気持ちになった。

 それなのに、奏さんの優しい歌声は、そんな僕を迎えに来てくれる。

 声と音だけで情景が描かれること、それを聴いた人が涙すること。歌う人、演奏する人、音に味付けをする人、音を整理する人。そして聴く人。この4分40秒に、どれだけのストーリーが詰まっているんだろう。

 初めて聴いた瞬間から大好きだったから、この曲が4分40秒で構成されていることも記憶してしまった。

 不思議なのは、ずっと聴き続けているはずなのに、聴けば聴くほど発見があるっていうこと。もしかしたら僕自身も毎日変化して、印象が変わっていくのかもしれない。

 でもやっぱり一番は、奏さんが色彩豊かな毎日を送っていて、それを心の深いところでちゃんと感じていて、それが声になっているんだと思う。だから曲にも表情が生まれるんだ。

 その色彩にはきっと暗い色も混ざっているはずだ。その色を、できれば奏さんの目に触れさせたくない。あんなに優しく歌う人が、なぜ辛い思いをしなければならないの? でもそれは避けられない。

 だけど、奏さんの中に暗い色が混ざっていなければ、この温かさは表現できないはずだ。だからやっぱり、影を落としながら、立体的に心象をスケッチして生きていかなければならない。

 せめて、彼の苦しみが歌に昇華されてほしい。それが聴く人の明日につながっていけば、それはきっと奏さんの望む明日だ。僕が聴いた再生回数の分だけ、彼の苦しみが軽くなっていけばいいのに。

 奏さんにはこんなにたくさんのものをもらっているのに、僕からは何ひとつ返すことができない。もし僕がサンタクロースになって奏さんに何か贈ることができるとしたら、見たこともないような、この世で一番きれいな色を差し出して安心させてあげたい。

 でもそんなこと、僕にはできないんだ。書くことしかできない僕が、誰かに色を与えることなんてできない。

「きみの歌」はとても温かいけれど、少し残酷な歌だ。

第十章「月の夜空」

 もう何曲目だったか分からないけれど、後半に差しかかったくらいだと思う。この日奏さんは「月の夜空」を歌ってくれた。

 この曲のタイトルを初めて見た時、僕は違和感を覚えた。「月の夜空」って、どういう意味なんだろうって。

 昼間は忘れられていて、夜にはそこにあるのが当たり前のような存在。満ちた時だけ、思い出したように見上げられる月。そんな月にも、夜空を見上げたくなることがあるだろうと、奏さんは考えたそうだ。

 会いたくなって見上げたのに、月はそこにいなかった。この歌はそんな新月の夜に作られたみたいなんだけど、奏さんはきっと、月のような存在の誰かに対しても歌っているんだろうなと思う。

 明るくみんなを照らすのはいつも太陽だけど、月にしか照らすことのできない暗闇があることを示してくれている。でも太陽だって優しい月明かりが恋しい時があるだろうし、月もまた、太陽のパワーを必要とすることがあるはずだ。

 奏さんの視線はどこに向けられているのか分からなかったけれど、なんとなく上を見上げている気がした。何かを想像するように、脳裏に浮かぶ月を探すような歌い方だった。もしかするとこの世に存在していないものなのかもしれない。

 そんなことを考えていたら、何が存在して何が存在しないのか、生命のどこまで感情はあるのか、僕にはもう分からなくなった。二元論を唱えたデカルトも、自然科学と発達した精神の間で悩み、光を求めていたのだろうか。

 僕は奏さんの音楽にも、デカルトの哲学にも、そう遠くないものを感じているのかもしれない。一人の人間が想像できることなんてたかが知れている。だから誰かの思想を借りて生きているんだ。

 ダイナミックで力強いのに、風に吹かれるように軽やかなタッチ。柔らかいのに芯がある。対極にあるはずのものたちが結びつく瞬間に、僕は今立ち会っている。こんなに美しい矛盾がこの世に存在するのか。

 その人が生きてきた歳月や思想が重なり、努力や苦悩が垣間見えた瞬間、聴く者はその音を抱きしめたくなるんだ。どうかこの歌が終わるまでに、彼の辛い記憶が消え去りますように。奏さんのピアノの音色は、まさに奏さん自身のようだと思った。

 月明かりは暗いんじゃなくて、優しくて柔らかい光なんだ。穏やかなメロディは、優しい奏さんの歌声をさらに大きな優しさで包み込んでいたから、僕は安堵した。彼には音楽がある。

 相反する現象が結合する時、人は感動を覚え、何かに喩えて表現したくなるのかもしれない。僕が書きたいと思う衝動も、きっとこういうところから生まれている。

 それにしてもこの感覚を、後で祐希にどう説明すればよいのかと思案した。「感想を聞かせて」と言われたけど、とてもじゃないが言葉で描写できるものではない。

 華やかで柔らかな空気を運んできたとか、吸い込む空気が別次元だったとか……。普通なら「君の頭の中はお花畑か」と心配されるだろうが、祐希はそういう人間じゃない。

(つづく)


▼最初から読み直す「音を書く」(1)

【連載小説】音を書く(1)

ABOUTこの記事のライター

山口県生まれ、東京都育ち。2016年、別業種からフリーライターとして独立。2017年にCulture Cruiseメディアを立ち上げ、『Culture Cruise』を運営開始。現在は東京と神奈川を拠点としている。カルチャーについて執筆するほか、楽曲のライナーノーツ制作、別名義で小説や行動経済学についての書籍も出版。趣味はレコード鑑賞。愛するのはありとあらゆるカルチャーのすべて!!