【連載小説】音を書く(4)

連載小説「音を書く」第七章・第八章のページです。

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第七章 「微少」

 奏さんはもしかしたら、サンタクロースの存在を信じて生きている人かもしれないと思った。

 こんなに純粋な歌詞とメロディを作って、こんなに素直な声で歌うことができるなんて。奏さんほど技術のあるシンガーなら、小手先だけのテクニックで、十分こなせるはずなんだ。

 歌の上手さだけじゃなくて、そこから離れない距離で、ちゃんと心が伝わってくる。嘘のない声は、まっすぐ人の心に届いて響く。

「微少」は記憶を辿って幼少期に戻る曲で、つまり多くのものを持たない幼少期にまで戻ると、今抱えている悩みに対するシンプルな答えが眠っているという哲学的な曲だ。

 幼い頃を描いているのに、ずっと先の人生観まで垣間見えるようだ。たった数分の曲に人生を宿す。音とそれに合わせられた言葉だけで生死にまで思想が及ぶなんて、音楽とは不可思議なものだよな。

 ピアノを弾くこと、歌うことが彼の今の仕事だけど、まったく商業的なにおいのしない旋律だ。意志の強い、オリジナルのフレーズをちゃんと持っている。楽器は正直に音を出す。

 僕にないものをたくさん持っている人だけど、それはすべて彼自身の手で磨き、蓄えてきた知識やスキルだ。辛いことからも逃げずに向き合ってきたから、たくさんのスキルとなって身についた。

 だから今、彼はこのステージに立っていて、僕はそれを観ることができている。奏さんが向き合ってきた日々が、僕らの今日を作り、ここに連れてきてくれた。

 そういう人が多くの「財産」を持つことは当然で、それは目に見える形で存在しているわけじゃない。だからみんながその音に惹かれて、心を揺さぶられるのかもしれない。

 物質的な豊かさは、いつか必ずなくなってしまう。消えることが分かってるから、大事に抱えようとする。

 でも奏さんのスキルは消えることがない。何も持っていなかったところから、たくさんの財産を手にしていった。

 その財産をたくさん持っていれば、世の中では才能がある人と認定される。確かに世の中には、無条件に才能を感じる人がいる。奏さんも、間違いなくそちら側に立たされる人だろう。

 でも、もし才能が最初から備わっているとすれば、「その道のセンスを磨くために努力する才能」なんじゃないかな。その努力だって、何かを少しずつ犠牲にしたり、我慢したりしながら険しい道を選択して、積み重ねてきたものだ。

 だから先天的な才能なんてものはなくて、「もしかしたら他のことよりは上手くできるかもしれない」程度の、不透明で不確実な「資質の芽」を、少しずつ育んだ先にあるものだと思う。

 その積み重ねを見て来なかった人は、いきなり育ったセンスを目にするわけだから「天才が現れた」って簡単に言うけど。

 本人や近くで見てきた家族は、最初から才能があったなんて自覚はないかもしれない。むしろ、「泣き虫だったあの子がこんなに成長するなんて」って思ってるかもしれない。だって、努力の末に少しずつ増やしていった財産なんだから。

「あの人の才能は秀でている」とか言いつつ、すべて妄想で終わらせて楽してる町人Aを差し置いて、同じ時間を、まだ育つかどうかも分からない不確実な資質の芽を、必死で育てる時間に充てた。

 その一時間が重なって一日になり、それが一カ月になって一年になって、素養となった。

 そうしてこの素晴らしい音楽が生まれた。芸術は気付くといつもそこにあるけど、どれだけの努力の結晶であるか想像を巡らせれば、きっともっと味わい深くなると思う。

 努力し続けるなんて、地味で小説のネタにもならないかもしれないけど、ネタにならないストーリーを持っている人ほど頑張っている証拠なのだと、町人Aはこのように思います。

 芸術は、日常の連なりと努力の重なりだ。何も特別なんかじゃない。

第八章 「雨と虹」

 奏さんの曲は全部大好きだけど、この日ばかりは、歌わないでほしいと願っていた曲があった。

 日本の天気予報では、雨を報せる時でもネガティブな言葉を使わないようにするらしい。たとえば農家の人にとっては、恵みの雨にもなるからだそうだ。

 僕は雨でも否定しない天気予報を見聞きしていると、少し安心する。だって、ほとんどの人は雨を嫌がるから。

 気象予報士が「明日、雨ですって。嫌ですねぇ」って予報してたら、面白いけど、きっと僕は残念だ。たとえ自分は嫌だと感じていても、相手を尊重したり、変化のある四季とうまく向き合ってきた日本の文化が好きなんだ。

 奏さんは、みんなに毛嫌いされる梅雨に生まれた人だから、雨に対してずっと特別な思いを抱いていたそうだ。

 そして「雨と虹」という曲が生まれた。この曲を聴いて、雨に対しての印象が変わった人も多いんじゃないかって、僕は思っている。

 切ない気持ちに雨は寄り添ってくれる。誰かの涙のように降り続いた長雨もやがて止み、目の前の景色は瑞々しく光る。そんな豊かな曲だから。

 雨は、変わらないいつもの風景に潤いを与えてくれる。音を立てないよう、忍ぶようにしとしとと降ったり、ザーザーと激しく主張してみたり、そこにも感情があるみたいだ。

 この曲での奏さんのピアノは、最初は雨粒が跳ねるようにポロポロと、だんだんふわりと浮遊するように。そして消えていくように表現されている気がする。最後には雨上がりの虹を見た時のような、幸せな余韻を残してくれる。歌声も、どこか儚げだ。

 雨の日は、いつもと違う曲を聴いてみたくなる。いつもの曲を聴いた時の印象も変わる。雨は、いつもの自分を少し違う場所に連れて行ってくれる。

 雨粒が傘に落ちる音。祐希と歩きながら聞くあの音が好きだ。祐希は、雨粒が傘に当たった瞬間に伝わる感覚が好きだって言う。だから雨の中を一緒に歩く時は、祐希が傘を持ちたがる。手を伸ばして、わざと雨に当たってはしゃいだりしている。

 祐希は雨を嫌がらない。だから僕はとても安心する。褒められてもいないのに、否定されなかっただけで、人はどうしてこんなに安心するのかな。

 日本男児としてこの地球に生まれたこと以外の奏さんと僕の共通点は、梅雨生まれということくらいだ。

 祐希はきっと「梅雨に生まれて羨ましい」という言葉をくれた、最初で最後の人だと思う。世界中の花の中で、紫陽花が一番好きなのだそうだ。そんな清らかな感性を持った人に、この曲は贈られるべきだ。

 この日は一人だったから、歌ってほしくなかったのに。この曲で、祐希と僕はつながれるのに。こんな時にかぎって、胸を締めつけるほどの美しい涙雨が降り注いだ。

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ABOUTこの記事のライター

山口県生まれ、東京都育ち。2016年、別業種からフリーライターとして独立。2017年にCulture Cruiseメディアを立ち上げ、『Culture Cruise』を運営開始。現在は東京と神奈川を拠点としている。カルチャーについて執筆するほか、楽曲のライナーノーツ制作、別名義で小説や行動経済学についての書籍も出版。趣味はレコード鑑賞。愛するのはありとあらゆるカルチャーのすべて!!