【連載小説】音を書く(3)

連載小説「音を書く」第五章・第六章のページです。

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第五章 「Science Fiction」

そういえば、僕は奏さんの生い立ちをあまり知らない。彼自身メディアにあまり出ないから、知る機会がないというのもあるけれど、知ろうとすればどこまでも探せてしまうのが今の情報化社会だ。

どんな家で育ったとか、家族がどうとか学歴とか、詮索して得た情報は、この素晴らしい音楽を理解することには繋がらない。今ある彼の曲をじっくり聴いて思想に触れることの方が、よっぽど深い時間を過ごせる。

奏さんが音にのせて届けてくれる言葉たちは、物書きの僕にとって、形あるものよりも尊いプレゼントだ。

彼が自分から発信したことには興味を持つけど、それ以外のことは知らずにいたい。ずっと好きで聴いていれば、どこかで知ることになるだろうし、自然と、だんだん知見が広がっていく方が楽しいんだ。

容姿もかっこいいとは思う。自分もあんなに背が高くて顔もかっこよかったら、何か変わっていたのかなと考えることはあるけど、そこに気を取られるのがもったいないと感じるほど、僕はこの音楽に心酔している。

奏さんだって、自分の外見は二の次って感じにも見える。自分自身のスペックの高さに気付いていない可能性も捨て切れないぞ。

この日は雪が降りそうなほど寒かったが、心が満たされ、会場内の温度はどんどん上昇していくように感じられた。

そこから僕、いやおそらく観客のすべてが、奏さんの奏でるピアノと歌声に一気に吸い込まれて行った。身を任せていると、もうここがどこなのか分からなくなるほど、別世界にいざなわれるような感覚だった。

奏さんが、音とともに僕たちを空間ごとワープさせた。その魔法に心踊らせていると、次の瞬間には、この空間に華やかで柔らかな空気を運んでくれた。

信じられない。僕らは一歩も動いていないのに、吸い込む空気は別次元のものだった。ふわっと足元が浮くような。でもちゃんとそこに立って音を感じているんだ。僕はSFの世界を生きているのだろうか。

音楽は大好きだし、フェスもライブもたくさん行ったけど、ここまで自分の空間で満たす演者は初めてだ。コール&レスポンスをするわけでもないのに、観客の心拍数を同一にできるなんて。

渇き切った僕の身体に、彼のピアノと歌声はどんどん浸透していった。僕だって、諦めたわけじゃない。やれることはまだたくさんある。

「Science Fiction」は、希望しかない異世界に瞬間移動するストーリーだ。一番では希望だらけで喜んでいるのだけど、二番では次第に絶望を感じ始めるという歌詞。三番には現実に戻って、今こそが希望だということを教えてくれる。

メロディも近未来的で明るい一番、荒廃したような乾いた響きの二番、三番はオーガニックな音に戻るという抑揚が面白い。

六分を超える大作だけど、二番でガラッと雰囲気が一転したり、変化に富んでいてあっという間に現実に戻るんだ。この日も夢中になって聴いていたから、気付いたら三番の日常に戻っていた。

人間、希望だけではやる気を出せないのかもしれない。絶望というものを知っているからこそ、希望に価値が生まれる。今の思想のまま異世界に行っても、価値観を合わせるのは容易ではないのだろうな。

それでも僕は、もっと知識や表現力を身につけて、一頁目から祐希をタイムトラベルに連れて行ってあげたいと思った。

第六章 「航海」

何曲か歌ってリラックスしてきたのか、楽しそうに歌う奏さんの姿があった。ライブは演者と観客の気持ちが重なれば重なるほど、音は深くなっていく気がする。

能面をつけていても気持ちは伝わるのだろうか。でも、笑顔で歌っている声というのは不思議と分かるものだ。この会場で今こんなことを考えているのは僕だけだろうな。

奏さんが向き合うのは相変わらずピアノだけど、同じ楽器だと思えないほど、曲によってずいぶんとイメージも変わる。

「航海」は先月出たばかりの新曲だ。ライブで新曲が聴けると、時間がちゃんと進んでいることを実感できるから無性に安心する。

この曲には、淡々とテンポよく展開する曲調とは裏腹に、続いていく人生を喜ぶような、憂うような歌詞に深みを感じる。音の波を自由に泳がせてくれる曲だ。

コントラストの工夫が上手いのは、デビュー曲の「嘘やろ」から一貫していた。どこかで必ず裏切ってくるポイントがある。ここが奏さんの楽曲の真髄なのかもしれない。

奏さんは手元を見なくてもピアノが弾けるので、目線が暇そうだと思った。きみはそんなピアニストやシンガーに出会ったことがある? 目線が暇そうだなんて、僕もこんな発想が生まれるとは思わなかった。

そういう時はピアノも得意になって音を出しているように見えてくる。ミュージカルアニメの映画で、花とか本とかカトラリーが突然歌い出すみたいに。

僕がきみに宛ててこの物語を書いたのは、きみの声が僕は大好きなのに、きみがずっと黙っているからだったんだ。もっと輝いてほしくて。それに、こんなことを考える僕はおかしいのか、誰かに聞いてほしくなった。

音に温度はない。楽器に感情なんてあるはずがない。人間がどんなに喜怒哀楽をぶつけても、受け入れるでも、見放すでもなく、ただ無感情に音を出すだけ。楽器とはそういうものだと思っていた。

でも奏さんが弾いている姿と、それを受け止めるピアノを見ていると、弾く人の感情で音色が変わったって何も不思議じゃないという気持ちが芽生えた。

まあ僕はおかしいんだろうな。でも、音は音として放出された時点で、もう行き先は聴く人に委ねられる。だからどう捉えたって僕の自由だ。自分の心の中でくらい、自由に泳がせてほしいよ。

「あのピアノは生きている」と捉えることと、サンタクロースの存在を信じることは、同じ波長で誰かの心を突き動かしているような気がする。

寄せては返す音の波を、片時も逃さないようにと、後で少しでも祐希に分けてあげられるようにと、僕は身体いっぱいに音楽を受け止めた。

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【連載小説】音を書く(1)

ABOUTこの記事のライター

山口県生まれ、東京都育ち。2016年、別業種からフリーライターとして独立。2017年にCulture Cruiseメディアを立ち上げ、『Culture Cruise』を運営開始。現在は東京と神奈川を拠点としている。カルチャーについて執筆するほか、楽曲のライナーノーツ制作、別名義で小説や行動経済学についての書籍も出版。趣味はレコード鑑賞。愛するのはありとあらゆるカルチャーのすべて!!